王立オーティン大学の学生食堂カフェテラス。その場所を知っている者にとって、「あそこ」、或いは「カフェ」で通じるだろう。
しかし、行ったことの無い者、初耳の者が聞いたならば、「どこだよ?」と首を捻るのも致し方無し、宜なるかな。 オーティン大学が有る場所「王都」、及び王都を要する「王領」の位置を確認したい。先ず、王領の位置に付いて。
王領は、アゲパン大陸北東端に聳える峻険な山脈「ピタラ」麓に幅広く展開していた。次に、王都。
王都オーティンは、王領北東端、ティン王国最奥に位置している。そこは「国王の在所」と言うことで、大量の資金、資材を投入して、最高の景観と最強の防衛機構を誇っている。 都市の地面は白い石畳、ピタラ山脈にある「ピタラ石」と呼ばれる白い石を四角く切り出し、それをたを隙間なく、定規で測ったかのように敷き詰められていた。 都市を囲む城壁もまた、雪山のように白く、高く、分厚い。それを見た者に「ピタラの一部」と錯覚させた。そのような高壁が、王都最全体と、王城の敷地の周りを二重に囲んでいる。 因みに、王都民達は最外縁の城壁を「外壁」、王城の敷地を囲む内側の城壁を「内壁」と呼称している。 外壁から内壁までの間が、所謂「城下町」。「王立オーティン大学が何処に有るか」と言うと、実は内壁の中、王城の敷地内に立っていた。王立オーティン大学。その外観は、ゴシック調でありながら「地球の学校」を彷彿とする四角四面の長方形型。その色も真っ白――だったものが、今は汚れて灰色になっている。
そもそも、オーティン大学の歴史は古く、王国の教育機関では「最古」だった。
大学を建てた(建てるよう命じた)者が、建国の王オーティン・ティンなのだ。その所以も有って、ティン王国では「随一の権威」を誇る教育機関となっていた。
王国内で学問を志すならば、「第一志望」から絶対外せないだろう。正に「名門中の名門」。ここに入れたならば将来安泰。一家の繁栄は約束されたも同然だった。 だからこそ、王領内は元より態々他の領土から受験する者は存外に多い。その内訳は、貴族八割、一般二割。王族となれば立場上在籍必須だった。王国第一王子(下に弟が一人)、デッカ・ティンの名前も学生名簿に書き込まれていた。
デッカが大学構内を一人で歩き回っていたとしても、誰も不思議に思わない。むしろ、「今日もデッカ殿下のお姿(主に『デカいティン』)が見られて幸せ」と歓迎されていた。
デッカのティンに畏敬の念を覚える者は存外に多い。今日も今日とて、デッカに羨望の眼差しが向けられていた。そのはずだった。 ところが、今日に限って、デッカの姿を見掛けた者は、全員一様に首を捻った。はて? 王族の方々は「昼食の時間」では?
王族の昼食。それは一日の食事の内で「メイン」と言えるほど特別なものだ。その為、最多量にして最豪勢。食事を終えるまでには、それなりに時間を要した。
実際、他の王族達は今も食事中だった。デッカとしても「家族と食事を楽しみたい」という想いは有った。なにより腹の虫が騒いでいた。 しかし、「今」は呑気に食事に興じる訳にはいかなかった。急がねば、ああ、急がねば。
デッカは「急用」の為、昼食を抜いて「大学食堂のカフェテラス」へと向かっていた。
現在時刻は午後十二時半ほど。約束の時間まで未だ三十分も有る。それでも、デッカは焦っていた。何とか「彼女」の耳に入る前に――間に合ってくれ。
デッカとしては、今直ぐ全力疾走したい気分だった。
しかし、一般学生が「全力疾走する王族」を見れば、「何事か?」と不安を覚えるだろう。要らざる混乱をもたらすことは、デッカとしても本意ではない。 デッカは、なるべく平静に、普段通りを心掛けながら、目的地が有る場所、視界に映った「灰色の山」に向かって全力歩行していた。一方その頃、オーティン大学食堂カフェテラスには「一際大きなティンティン」を持つ令嬢の姿が有った。
昼食時ということも有って、白を基調とした巨大建造物(食堂)には学生達の姿が有った。
その建物の前庭が、件の「カフェテラス」。そこには白い一本脚の丸テーブルが幾つも置かれていた。 テーブルを囲んで、白い背もたれ付きの椅子が、三脚、或いは四脚囲んでいた。 そこにも学生達の姿が有った。しかし、彼らはみな端っこのテーブルばかりについていた。中央部分はがら空きだった。そのど真ん中に、一人の少女の姿が有った。リザベル・ティムル。ティン族史上最大のティンティンを持つ少女。未だ「十五歳」という若年でありながら種族の頂に立つ女傑。
人々の羨望を集める存在であることは、リザベル本人も自覚していた。その為、人前では堂々と振舞うよう心掛けていた。 今も、カフェテラスのど真ん中に置かれたテーブルの席で、ノンビリ食後のお茶を嗜んでいるところだ。その美麗な姿、彼女の優雅な所作を見た者は「流石でございますわ」と心中で拍手していた。 そのような光景も、リザベルを含めた人々の心情も「いつものこと」だった。 しかし、今日のリザベルは少しだけおかしかった。リザベルは現在進行形で茶を嗜んでいる。そのはずだった。しかし、実はカップに口を寄せているだけで、全く茶を飲んでいなかったのだ。
幾ら平静を装っていても、「今」のリザベルは、ノンビリ茶を嗜んでいられるような精神状態ではなかった。
ああ、デッカ様。私(わたくし)に何のお話が有るのでしょう?
大事な「昼食時」にもかかわらず、デッカはリザベルを呼び出した。その用件に付いて考えると、彼女の心は「台風の日に干した洗濯物」のように激しく揺れた。脳内に「最悪の可能性」が閃く度、逃げ出したい衝動に駆られた。
しかし、リザベルは逃げなかった。私でお役に立てることが有るならば、例え火の中水の中、ですわ。
リザベルは固い覚悟を胸に秘め、何と「指定時刻より一時間も早く」現地に赴いていた。
当然、デッカの姿は無い。その事実は、リザベルを不安にさせた。叶うならば、今直ぐデッカの傍に馳せ参じたいくらいだった。
しかし、そこは王国最前線を守護する辺境伯の娘(長女)。父、アズル・ティムルの教え「食える時に食っておくべき」を尊重して、気が進まないながらも食事を摂った。それも「一般大学生の三倍」ほどモリモリ食べた。それでも、リザベルとしては抑えた方だった。リザベルは、その細身に似合わず健啖家だった。
これまでのリザベルの半生に於いて「出された食事を残したこと」は一度も無かった。そのはずだった。
ところが、今日に限って、リザベルは「食後の茶」を飲み干すことができなかった。ああ、デッカ様。あああああっ、デッカ様。
リザベルはデッカが来るよう願ったり、来ないよう願ったり、自分でもどうしようもない複雑な感情に翻弄されていた。
その最中、一陣の春風が吹いた。「『リザ』、済まない」
「!」春風に紛れて、低音の美声が響き渡った。それに反応して、リザベルは声の主を見た。
そこには、「一際デカいティンを持つ貴公子」が立っていた。終に来ましたわ。我が待ち人、デッカ・ティン様。
ああ、終に来た。我が最大の難関、リザベル・ティムル。デッカは、リザベルの姿を認めるなり、彼女を「愛称」で呼んだでいた。その瞬間、不安げだったリザベルの顔が艶やかに綻んだ。
「デッカ様――」
リザベルの美貌に満面の笑みが浮かんだ。しかし、それは一瞬で消えた。
無様は晒せませんわ。
リザベルは直ぐ様令嬢然とした澄まし顔をした。その表情は、デッカの心底に燻る不安を煽った。
「待たせてしまったか」
デッカは「申し訳ない」と頭を下げてから、リザベルのテーブルに近付いて、対面の席に腰を下ろした。
デッカが着席したところで、リザベルは静かにティーカップを置いた。続け様にユックリ立ち上がって、両手で制服のスカートの両端を摘まみ、右足を下げ、左膝を軽く曲げて、「『お久しぶり』に御座います、デッカ殿下」
デッカに向かって丁寧な挨拶(カーテシー)をした。その行為、所作は、誰もが見惚れるほど優雅だった。
しかし、この場に居合わせた学生達は、リザベルの「お久しぶり」という言葉を聞いて首を捻っていた。昨日もお会いしていたのでは?
デッカとリザベルは同じ大学に通う同級生。選択している講義も殆ど、いや、全部同じものを取っている。
尤も、午前中はデッカが王城にいる場合が多く、二人の出会いは午後からになりがちではあった。 しかしながら、二人は毎日のように大学で会っていることは事実。それを知る学生達にしてみれば、「お久しぶり」も何も無い。彼らが首を捻るのも致し方なし、宣なるかな。しかし、言葉で分かり合えるほど、「人間」という生き物は単純ではない。学生達の感覚(常識側)では、リザベルの心情(非常識側)は理解し難かった。
ああ、デッカ様。十八時間五十三分ぶりでございます。こんなに会えない時間が長いと、私どうにかなってしまいそうでした。
リザベルとしては毎秒、それも永遠にデッカの傍に居続けたかった。一秒たりとも離れていたくは無かった。それを半日も我慢していたのだから、その根性と自制心は「天晴れ」と褒められて然るべき(ですわ)。と、リザベル本人は思っている。
尤も、リザベルの心情が他者に分かる訳がない(聞いたとしても理解できない)。デッカにしても、リザベルの落ち着き払った様子を見て、一抹の寂しさを覚えていた。
しかしながら、一方では「より以上の安堵」を覚えていた。ああ、良かった。未だ「あのこと」はリザの耳に入っていなさそうだ。
あのことと。それは、デッカが「リザベル以外の女性のティンティンを触った」という裏切り行為に他ならない。叶うならば、今生でリザベルの耳に入れたくなかった。
しかし、それは叶わぬ願い。それが良く分かっているからこそ、デッカは清水の舞台から飛び降り、そのまま地面に空いた虎穴に飛び込み、底で燃え盛る火中の栗を拾おうと、リザベルを呼び出したのだ。今、デッカは自ら望んで窮地に立った。
デッカの足下には「リザベルの逆鱗」という地雷原が広がっていた。
一触即発。踏めば即爆発。息をするのも気を遣う。そんな危機的状況にあって、デッカは「自前の爆弾」を用意して、その起爆装置を――「実は、今朝のことなのだが――」
全力で押し込んだ。
デッカは「今朝の出来事」を、極力控えめな表現で、正直に話してしまった。その話が終わった瞬間、カフェテラスから「音」が消えた。「「「「「…………」」」」」
時間が止まった。そのように錯覚するほどの静寂。それを打ち破った勇者は、リザベルだった。
「その女性の――『ティンティンをお触り』になった? と?」
「まあ、はい。そうです」 「…………」ティンを触る。ティン族にとって、その行為は特別な意味を持っていた。
簡潔に言えば、「主従関係を結ぶ為の儀式」というものだ。それが転じて、異性に対しては「婚姻関係を結ぶ儀式」とされていた。デッカは婚約者を持つ身でありながら、他の女性のティンティンを触った(摘まんだ)。その事実を、たった今、婚約者当人に告げた。
それを聞いたリザベルの心情が穏やかであろうはずも無い。瞬間湯沸かし器並みの速度で怒り狂って当然だろう。ところが、「そうですか」
リザベルは平静だった。彼女の顔は全くの無表情だった。その様子を見れば、「落ち着いているな」と思えた。いや、思いたかった。
しかし、現況の静けさは、嵐の前のそれだった。「デッカ様」
「はい」 「もう一度、確認いたします」 「はい」 「その女性の『ティンティンに触れた』のでございますね?」 「は、えっと――」リザベルの口調は、平静ではあった。しかし、冷淡だった。それこそ、彼女の級友アリアナ侯爵令嬢を彷彿とする、いや、それ以上に冷たかった。その声を聴いた瞬間、全員の耳が凍り付いた。
滅茶苦茶痛いっ!!
カフェテラスに居合せた殆どの者、デッカとリザベルを除く全ての者が、声にならない悲鳴を上げながら、耳を抑えて蹲った。
俺達、このまま死んでしまうのでは?
その場にいた誰しもが、己の不運を呪った。神様に救いを求めた。
すると、「一人の男」が応えてくれた。俺が何とかするしか――無い。
デッカは一命を賭す覚悟で「動く氷結地獄」に挑んだ。
「俺は王族の務めを果たすべく――そう、『手袋』だ。手袋を嵌めて、手袋越しに、彼女のティンティンに、手袋で触れたんだ」
デッカは、敢えて「手袋」を強調した。その事実は「儀式の正当性を否定する要因」となり得るものだった。少なくとも、デッカはそう思っていた。ところが、
「『触れた』のですよね?」
リザベルの関心は「デッカが自分に外の女性のティンティンに触れた」という事実のみ。他の要素など、全く眼中に無かった。
リザベルの質問は、「最後通告」或いは「死刑宣告」に等しいものだった。デッカとて、その可能性、いや、事実は痛いくらいに理解していた。しかし、「――――…………はい」
デッカとしても、「触れた」と言った以上、それを否定することはできなかった。
「そう――……ですか」
リザベルが声を上げると、周囲の空気が震え出した。それに併せて彼女の足下の地面までもが震え出した。
周囲の者の視界に、「リザベルの長い髪が『炎』のように揺らめきながら逆立つ様子」が映っていた。俺達は今、地獄の真っ只中にいる。あそこに「地獄の魔王」がいる。
修羅場は不可避だった。誰もがそう思っていた。誰もが自分の最期を直感していた。
しかし、希望は有った。救世主がいた。いや、そもそも「全てそいつのせい」ではあった訳だが。「リザ」
「…………」デッカはリザベルを愛称で呼んだ。しかし、リザベルの顔に笑顔は無かった。それでもデッカは挫けなかった。
「君に頼みが有る」
デッカはリザベルに話し掛け続けた。その行為に意味は有った。
デッカには「秘策」が有った。「それ」を思い付けたのは、実は「今回の件」のお陰だった。 ティン族にとって「ティンに触れさせる」という行為は「全てを捧げる」ということを意味する。ティン族ならば誰もが知っていることだ。リザベルも熟知している。 だからこそ、デッカは「それ」を利用した。「俺のティンを握ってくれ」
デッカはリザベルに全てを捧げた。
果たして、リザベルはデッカのティンを握るのか? デッカは破局の危機を乗り越えることができるのか? 王国滅亡の危機は回避できるのか? カフェテラスに居合わせた学生達は救われるのか? この話を続きを読んで下さる心優しい素敵な読者は現れるのか?
次回、「第五話 私のティンティンをお握り下さいませっ」
握り合えば分かり合えるのか? それは、神であっても分からない。
※拙作をお読み下さり感謝いたします。
宜しければ評価、感想などを頂けますと、涙が出るほど嬉しいです。 今後とも宜しくお願い致します。王都オーティン。中心に白亜の王城を頂くティン王国最古にして最大の都市。 王城の荘厳さは言うに及ばず、城下町もまた、王城に比すほど荘厳にして美麗だった。その為、他の領土の人々からは「白い美術品」と呼ばれている。 王都城下町の地面は、王城の敷地と同じくピタラ石製の白い石畳が広がっていた。どこぞの大学と違い、市民達が毎年補修、掃除、点検を行っている。その為、「表通り」は白さを保ち続けていた。 その白い石畳の上に、白い家屋群が整然と立ち並んでいた。 王都城下町の建物は、殆どが白い石(ピタラ石)と白い木材(モリッコロ原産の針葉樹、『ゲッパク』)を組み合わせたハーフティンバー式。それら白い二階建て、或いは三階建ての建物が、背中合わせの二列縦隊で街路沿いに軒を連ねていた。 建物群に挟まれた街路は、その殆どが同じ幅になっていた。それもまた、城下町の美観を高める要因だった。 しかし、唯一本、他より遥かに太く、大きな街路が有った。 内壁の城門と、外壁の城門を貫く大道、王都メインストリート。通称「オーティン通り」。 王都を人間の体と例えるならば、オーティン通りは「大動脈(或いは大静脈)」になるだろう。 毎日市民(都民)達が集まり、商売、食事、談笑、散歩――と、様々な活動が行われる「王都で最も活気の有る場所」だった。その賑わい、盛況振りは、遠目からでもハッキリ確認することができた。 ティン王国第一王子、デッカ・ティンは「内壁城門前」にいた。そこから正面に伸びる大道、オーティン通りの様子を眺めていた。 ああ、王都の城下町は、こんなにも素敵な場所だったのか。 大河の如き大道が人々の活気で溢れている。その様子を見るほどに、デッカの胸にポカポカと春の陽射しのような暖かな気持ちが広がっていた。そんな彼の姿を、首を傾げながら見詰める者が四人ほどいた。 城門前を守る衛兵達だ。「何だ、あれ?」 「変な格好だな」 「痛い奴だ」 「目を合わせるな。かかわるな」 衛兵達は、デッカのことを悪し様に言い合っていた。不敬罪に問われかねない無礼だった。 しかし、デッカを含めて、現況で衛兵達を咎める者はいなかった。そもそも、彼らが見詰めている男性(デッカ)は、王子様には見えなかった。 デッカは「市井の衣装」を身にまとっていた。その姿を見れば、「首から下」は市井の民そ
ティン王国国王領。現国王ムケイが直接治める、所謂「直轄地」。王国領領内最奥に位置する最も安全な場所にして、南方領(シムズ・ティルト侯爵領)に次ぐ資源の宝庫だった。 当然のように人が集まり、その人口は全王国領中「不動の第一位」を誇っている。 しかし、不思議なことに税収は下落傾向にあった。それも、ここ数年に限っての話だ。その事実は、王城の税務課の資料に記載されている。由々しき事態だ。 しかし、王城の会議に於いて、その話題が出た例は無い。そもそも、税務課の職員達も、大臣達も、国王ムケイですら、その事実を問題視していなかった。 何故なのか? その謎を解明すべく、デッカは今日も執務室に籠っていた。 デッカの執務室は王城の最奥に有った。そこまで続く石の回廊は、洞窟と錯覚するほど暗く冷たい。 しかし、執務室のドアを開けた先は「眩い光の世界」だった。その奇跡の光景の理由は、ティン力でもなければ魔法でもなかった。 ティン王国の王城には、それは大きな「中庭」が有った。 デッカの執務室は、中庭の際に位置していた。その為、中庭側に設置された窓が陽光を招き入れ、室内を宝物庫のように輝かせていた。 本を読むには十二分の光量が確保できた。その恩恵を存分に生かして、デッカは執務机に乗せた資料を読み漁っていた。 今日も一人で飽きもせず、よくやる。 尤も、デッカには「単独で調査しなければならない理由」が有った。その制約も有って、それなりに手間や労力が必要だった。 しかしながら、調査を始めてから既に一週間ほど経っている。デッカの立場(王国第一王子)や能力(史上最大のティン)を鑑みると、いい加減手掛かりを得ても良い頃だろう。ところが、「何――だろうな?」 情けないことに、デッカには全く皆目見当も付かない状態だった。 そもそも、王都税務課から借りた資料そのものが「謎」なのだ。謎を漁っても、中から出てくるものは「謎」以外無い。 読めば読むほど、考えれば感がるほど謎は深まるばかり。デッカの脳内には「徒労」の二文字が閃いていた。「何――だろうな?」 デッカの口から、再び益体の無い愚痴が零れた。只の独り言だった。応える者などいないはずだった。ところが、「何――なのでしょう?」 デッカの独り言に「重低音の声」が応えた。 デッカのそれとは全く違う声。実際
ティン王国第一王子、デッカ・ティン。そして、王国西南端最前線を守護するアズル辺境伯の長女、リザベル・ティムル。 二人が出会ったのは、現在を遡ること十年ほど前のこと。 当時、二人は六歳。それぞれ健勝なのだから、出会う可能性は有るには有った。 しかしながら、彼我の生家は余りに遠い。膝栗毛(徒歩)など論外、馬車を使うにしても無茶が過ぎる。 何の用事が有って、こんな無茶を通したのか? 有体に言えば、「我が子のティンを誇示したい親の自己満足、或いは虚栄心を満たす為」だった。 そもそも、両家の当主達はデッカ達が0歳の頃から、二人を出会わせたくて仕方が無かったのだ。それを六年も待ったのだから、「よく我慢したね」と褒めて貰いたい。と、本人達は思っている。 六年.「諦めても良い」と思えるほどの長期間。それを耐え続けていた理由は、我が子の頭に生えた「余りにデカいティン」だった。 史上最大、空前絶後、「母体を突き破らなかったことが奇跡」と思えるほどデカいティン(ティンティン)。 ティン族ならば、羨ましがらずにはいられなかった。誇らずにはいられなかった。語らずにはいられなかった。例え王侯貴族であっても、狂喜乱舞せずにはいられなかった。 デッカの父ムケイも、リザベルの父アズルも、「世界中に知れ渡れ」とばかりに喧伝した。両家の領民達も、領主に倣って喧伝しまくった。 騒ぐ者が増えれば、必然的に声も大きくなる。 デッカとリザベルの話は、それぞれの領内に止まらず、領外へと拡大していった。 そもそも、ティンに拘るティン族が無視できる話ではなかった。王国中に広まるのに、それほど多くの時間を要しなかった。 当然、両家の親達の耳にも入った。 このときから、両家の親達の心には「全く同じ想い」がはち切れんばかりに膨れ上がっていた。「どちらのティンの方がデカいのか?」 我が子が最大なのか? それとも、あちらの子の方が大きいのか? 気になって仕方が無かった。その目で確かめずにはいられなかった。 ムケイも、アズルも、それぞれの親族も、領民も、ティン王国の全国民、全ティン族が、デッカとリザベルの出会いを希求した。 しかし、実際に二人が出会えたのは「六年後」なのだ。そこまで時間を費やさなければならない、或いは待たなければならない理由が「当時」には有った。 当時、
王立オーティン大学食堂カフェテラス。そこには生粋の王都民しか知らない「伝説」が有った。「カフェテラスで告白し、それを受けて貰えたならば、二人は結婚し、幸せな余生を過ごすことができる」 一体、誰が言い出したことか。残念ながら、その曰くを知る者はいない。説明できない以上、信ぴょう性は皆無。その伝説を他の領土(或いは都市)から来た者に話すと、首を傾げられたり、眉に唾を付けられたりした。 しかし、生粋の王都民にはメジャーな伝説だった。それを信じ、肖ろうとする者は存外に多い。 ティン王国第一王子デッカ・ティンも、その内の一人だった。 麗らかな春の日差しに照らされた野外昼食場(カフェテラス)のど真ん中でデッカは「愛の言葉」を告げた。「俺のティンを握ってくれ」 爽やかにして優しげな美声だった。それが届いた者の耳に、真綿が水を吸い込むようにスルリと染み込んだ。 史上最大のティンを持つ男の愛の言葉。例え対象が自分でなくとも、それを聞いた全ての者の心臓が「トゥンク」と音を立てて跳ねた。 その中で、一際デカい弾音――いや、火山の噴火を彷彿とするほどの「爆音」が、デッカの至近から響き渡った。 その直後、爆音の発信源から、より以上にデカい叫び声が上がった。「ななななな――何を、何お仰っておられるのですかっ!?」 デカい声だった。それを聞いた者に伝説の魔獣「ドラゴン」を想像させた。 しかし、爆音の発信源は、子どもと錯覚するほど小さな少女だった。 その少女、リザベル・ティムルは、咆哮を上げながら立ち上がった。その様子は、カフェテラスにいた全ての者に視界に映っていた。「リザベル様が立った、お立ちになられたっ!!」 「これから何が始まるの?」 「戦争――いや、この国の滅亡かっ!?」 カフェテラスにいる者の中で、正確に状況を把握している者は、当事者達を含めて一人もいなかった。 それでも、「絶望的な窮地に立っている」という最悪な現実だけは、全ての者、その本能が理解していた。 リザベルの反応次第で、全員の命が消えて無くなる。 学生達は死の恐怖に怯えながら「リザベル」という名の破壊神を見詰めていた。彼らの視線には、「助けて」と悲痛な想いが籠っていた。それを浴びたリザベルは、頭部に生えた「女性の腕ほどもあるティンティン」を振り上げて――「ごほん」
王立オーティン大学の学生食堂カフェテラス。その場所を知っている者にとって、「あそこ」、或いは「カフェ」で通じるだろう。 しかし、行ったことの無い者、初耳の者が聞いたならば、「どこだよ?」と首を捻るのも致し方無し、宜なるかな。 オーティン大学が有る場所「王都」、及び王都を要する「王領」の位置を確認したい。 先ず、王領の位置に付いて。 王領は、アゲパン大陸北東端に聳える峻険な山脈「ピタラ」麓に幅広く展開していた。 次に、王都。 王都オーティンは、王領北東端、ティン王国最奥に位置している。そこは「国王の在所」と言うことで、大量の資金、資材を投入して、最高の景観と最強の防衛機構を誇っている。 都市の地面は白い石畳、ピタラ山脈にある「ピタラ石」と呼ばれる白い石を四角く切り出し、それをたを隙間なく、定規で測ったかのように敷き詰められていた。 都市を囲む城壁もまた、雪山のように白く、高く、分厚い。それを見た者に「ピタラの一部」と錯覚させた。そのような高壁が、王都最全体と、王城の敷地の周りを二重に囲んでいる。 因みに、王都民達は最外縁の城壁を「外壁」、王城の敷地を囲む内側の城壁を「内壁」と呼称している。 外壁から内壁までの間が、所謂「城下町」。「王立オーティン大学が何処に有るか」と言うと、実は内壁の中、王城の敷地内に立っていた。 王立オーティン大学。その外観は、ゴシック調でありながら「地球の学校」を彷彿とする四角四面の長方形型。その色も真っ白――だったものが、今は汚れて灰色になっている。 そもそも、オーティン大学の歴史は古く、王国の教育機関では「最古」だった。 大学を建てた(建てるよう命じた)者が、建国の王オーティン・ティンなのだ。その所以も有って、ティン王国では「随一の権威」を誇る教育機関となっていた。 王国内で学問を志すならば、「第一志望」から絶対外せないだろう。正に「名門中の名門」。ここに入れたならば将来安泰。一家の繁栄は約束されたも同然だった。 だからこそ、王領内は元より態々他の領土から受験する者は存外に多い。その内訳は、貴族八割、一般二割。王族となれば立場上在籍必須だった。 王国第一王子(下に弟が一人)、デッカ・ティンの名前も学生名簿に書き込まれていた。 デッカが大学構内を一人で歩き回っていたとしても、誰も不思議に
ティン王国王城内にいるデッカ・ティンが、彼の許嫁リザベル・ティムルへの対応に頭を抱えていた頃、当のリザベルはと言うと、とある場所の豪華な「個室」に置かれたベッドに俯せで横たわって――「ああああああああああああっ、デッカ様っ」 枕に顔を埋めながら叫んでいた。その声がデッカの耳に届くことは無かった。しかし、二人の距離は存外に近かった。 リザベル・ティムル。彼女は、「辺境の雄」の異名を持つアズル・ティムル辺境伯の娘、二人姉妹の長女である。 リザベルの生家、アズル領は王国領西南端、モリッコロの際、隣国との国境沿いに位置していた。 デッカがいる王都までの距離は、他の領土と比べるべくもなく遠い。最長だ。 リザベルが「王都に行きましょう」と思い立ったとしても、軽々に行き来できる距離ではない。早馬を走らせて十日、天候によっては二週間ほど掛かった。彼我の生家は余りに遠い。 しかし、今やそれも過去の話。リザベルがその気になれば、デッカにかかわる情報は、「その日の内」に彼女の耳に入れることができた。 何故ならば、リザベルは今、王都に住んでいるからだ。 今春、リザベルは王領の教育機関、「王立オーティン大学」に入学した。そこに通う為、彼女は「大学女子学生寮」に住んだ。 女子寮は、嘗ての辺境伯屋敷と比肩するほど大きかった。ティンティンの色に因んで、赤褐色のレンガと、モリッコロに群生する「リョウタロ」という赤みを帯びた杉を使った、赤いハーフティンバー式の巨建造物だ。 尤も、学生が占有できる場所は、建物内の一室に過ぎない。「その点」に関しては、辺境伯令嬢と言えども例外ではなかった。 今のリザベルは「オーティン大学一年生」であった。大学に入る年齢となると、地球に於いては「十八歳以上」と言うのが一般的だろう。 しかし、惑星マサクーンに於いては「満十六歳から」というのが一般的だった。 リザベル・ティムルは未だ十五歳。同い年のデッカも、実はまだ十五歳だった。 十五歳。「子ども」と言っていい年齢だ。しかし、二人とも、他人から「年齢通り」に見られた試しは殆ど無かった。 二人は、やんごとない立場にいる人間だ。その為、人前では「傲慢」に思えるほど堂々と振舞う必要が有った。その為、二人とも二十代くらいに見られがちだった。 それでも、二人は未だ十五歳。落ち着き払っている